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3話 龍神との邂逅

مؤلف: 白蛇
last update تاريخ النشر: 2025-10-31 16:23:22

 沈黙のまま、時だけが凍りついたように流れていた。

「やっと、来たな」と告げた男――石階の頂に立つその影はそれ以上言葉を紡がず、ただ瑞礼を見下ろしていた。

 目を逸らしたい。だが、逸らせなかった。

 紅を孕む金の瞳に射抜かれ、膝はかすかに震え、呼吸は浅く乱れた。思考は雪嵐のように舞い荒れ、身体だけが本能的に「ここにいてはならない」と警鐘を鳴らしていた。

「……誰、なのです……」

 かすれた声が喉から零れる。寒さのせいではない。胸奥に押し潰された恐怖と熱が、かろうじて形を紡いだ言葉に過ぎなかった。

 男は応えない。ただ一歩、石階を降りた。――その一歩が世界の重心を傾ける。

 瑞礼の心臓は跳ね、視界が揺らぐ。反射的に身を翻した。ここから逃げねば――もしかしたら生者として還れるかもしれない、と。しかし、氷上へ駆け出そうとした足は、見えざる力に絡め取られた。

 胸が見えぬ糸に引かれた。いや、魂そのものを撫でる甘く、鋭い圧。瑞礼は足をもつれさせ、ふらりと――落ちた。

 段差などない。だが空気が形を変え、瑞礼を抱き留めた。気づけば瑞礼は男の懐にいた。

 抱擁ではなかった。だが、わずかに開いた腕の内側で確かに囲まれていた。男の手が一度だけ震えた。それでも指先は触れない。触れたいという願いだけが空気の密度となり、彼を包んでいるようだった。

「……っ」

 瑞礼は慌てて身を捩る。だが男は静かにその片手を取った。冷たい指。けれど、ぬくもりを待ち焦がれたような懐かしさが宿っていた。

「……来い」

 短く低い声。命令とも囁きともつかぬ、奇妙に抗いがたい響き。

 瑞礼は抗う間もなくその手に導かれ、歩んでいた。ふと足元を見た瞬間、息を呑む。

 ――氷の湖の上を、歩いていた。

 透明な水鏡の氷面に影が映る。――いや、影ではない。瑞礼に似た人影がそこに立っていた。

 ひとつ、ふたつ――

髪の長さも、衣の色も、時機すら異なる。だが、確かに瑞礼の面影を宿していた。

 影は目を伏せ、唇を閉ざし、ただ静かに佇む。その傍らには同じように、目の前を歩む男の影が寄り添う。恋人のように――あるいは、守護者のように。

 喉がひとりでに鳴る。胸の奥で何かが崩れるように音を立てていた。

「……これは、何なのですか……」

 男は応えない。握る手の力をわずかに強め、石段に足をかけた。

 やがて石階を上りきると、左右に並んだ虚ろな人影たちが瑞礼を迎えた。老いも若きも、皆、かつてここへ連れて来られた花嫁たち。彼らは整然と並び、言葉もなく頭を垂れていた。

 声なき声が胸を震わせる。――歓迎。帰還の合図。彼らは瑞礼の帰還を待っていた。長き年月を越え、選ばれた存在の帰りを。

「……やめて、ください」

 ようやく声を絞り出す。

「どこへ連れていくのですか……!」

 男は振り返らず、前を向いたまま応じた。

「……おまえの、在るべき場所へ」

 その歩みはやがて、寝殿の前で止まった。白木の柱に黒金の装飾。天井には古代の文字が刻まれている。社というより、神の神殿。――命の終焉を待つ婚礼の墓のようでもあった。

 扉がひとりでに開かれた。そこにはふたりの女が待っていた。

 一人は黒髪を結い、裾を正した若き女。整った容貌ようぼうおごそかな礼を添え、深々と頭を垂れる。

「主上。御待望の御方が、ついにこの地へ。まことにめでたきことにございます」

 もう一人は異様に細身で、笑みを貼りつけていた。だが瞳は冷ややかに濁り、あからさまな嘲弄ちょうろう薄笑うすわらいを湛える。

 瑞礼は息を呑む。――ここが、自らの終焉の地なのだと本能が告げていた。

「……わたしが、男だということ……あなたは、もう知っているはずです……!」

 冷たい指に導かれるまま、抗いながら瑞礼は叫んだ。振り向くことはできない。ただ、手を取る男へと、魂の底から訴えかけるように。

「騙すつもりはなかった……妹の命の代わりに、ただそれだけで……」

 膝を折り、頭を垂れる。

「……どうか、妹を……瑞白を助けてください……。そのためなら、どんな罰でも……命でも、差し出します」

 沈黙が落ちる。

 しばしののち、低く確かな声が告げた。

「知っていた。――最初から」

 瑞礼は顔を上げた。金を宿す瞳にはかすかな熱が宿っていた。

「それでも――おまえを選んだのだ。幾千の時を経ても揺るがぬ、俺の最初で、最後の花嫁として」

 その言葉は氷を融かすほのおのように胸の奥底へ沈み、凍てついた魂をじんわりと溶かしていく。瑞礼の頬を初めて涙が伝った。冷たいのか温かいのか、自分でもわからなかった。

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